我が家では、祖父が時代劇が大好きで一家でよく見ておりました。
そんな中、ある日放送された幕末ドラマに出ていた「大村益次郎」がいい味を出していました。
彼は人付き合いが悪いのですが、とても見識深く才気を感じさせるのです。
(ドラマの名前は忘れましたが・・・)
この大村益次郎の銅像が都内にあって、「上野を向いて立っている」と
どこかで聞いた記憶があったんです。
実際に確かめたことは無かったので、
先日、天気が良かった日に確かめてきました!
そもそも大村益次郎とは?
大村益次郎とは幕末の長州藩(山口県)の生まれ。
洋学者でしたが、明治維新では長州藩の軍隊を指揮する立場になります。
後の明治時代では兵部省の兵部大輔(今で言うと防衛省の事務次官)になった人です。
つまり近代日本の陸海軍のトップということですね。
上野を向いている理由
明治維新が行われる中で、上野の辺りで戦争がありました。
そのまま「上野戦争」と呼ばれています。
その時、新政府軍を指揮していたのが、この「大村益次郎」でした。
なので、「大村益次郎」の銅像が上野を向いている理由は、そのためだろうと思うのですが・・・
本当にわざわざ上野を向けて作ったのかな?と、前から疑問でした。
銅像の場所
大村益次郎の銅像は靖国神社の中にあります。 九段下駅から参道に沿って歩いてくると、銅像が見えてきます。
銅像の向き
向きを確かめるために、もうちょっと近づいてみると・・・
参道に対して、ちょっと左に傾いて立っていますね。
さらに寄ってみると・・・
確かに参道の入り口に対して、左を向いています。
地図で検証
実際にOpenStreetMap さんの地図を使って、検証してみます。
靖国神社の地図を表示してみると、大村益次郎の銅像はここ。
東に延びている参道に対して、銅像は少し左向きでした。
一方、上野の地図です。
上野と言っても、どこをターゲットにしようと思いましたが、
ここは同じ銅像繋がりということで、西郷さんの像としてみます。
銅像同士、矢印を引っ張ってみると・・・
確かに、上野の方角を向いて立っていると言えます!
現在はオフィスビルが乱立しているため、残念ながら上野の山は目視できません。
建立された明治期には見えていたかも知れませんね。