2020年11月27日金曜日

大村益次郎は、本当に上野を向いて立っているのか

我が家では、祖父が時代劇が大好きで一家でよく見ておりました。
そんな中、ある日放送された幕末ドラマに出ていた「大村益次郎」がいい味を出していました。
彼は人付き合いが悪いのですが、とても見識深く才気を感じさせるのです。
(ドラマの名前は忘れましたが・・・)





この大村益次郎の銅像が都内にあって、「上野を向いて立っている」と
どこかで聞いた記憶があったんです。





実際に確かめたことは無かったので、
先日、天気が良かった日に確かめてきました!





そもそも大村益次郎とは?





大村益次郎とは幕末の長州藩(山口県)の生まれ。
洋学者でしたが、明治維新では長州藩の軍隊を指揮する立場になります。





後の明治時代では兵部省の兵部大輔(今で言うと防衛省の事務次官)になった人です。
つまり近代日本の陸海軍のトップということですね。





上野を向いている理由





明治維新が行われる中で、上野の辺りで戦争がありました。
そのまま「上野戦争」と呼ばれています。





その時、新政府軍を指揮していたのが、この「大村益次郎」でした。
なので、「大村益次郎」の銅像が上野を向いている理由は、そのためだろうと思うのですが・・・





本当にわざわざ上野を向けて作ったのかな?と、前から疑問でした。






銅像の場所

大村益次郎の銅像は靖国神社の中にあります。
九段下駅から参道に沿って歩いてくると、銅像が見えてきます。





銅像の向き

向きを確かめるために、もうちょっと近づいてみると・・・


参道に対して、ちょっと左に傾いて立っていますね。



さらに寄ってみると・・・
確かに参道の入り口に対して、左を向いています。




地図で検証



実際にOpenStreetMap さんの地図を使って、検証してみます。


© OpenStreetMap contributors

靖国神社の地図を表示してみると、大村益次郎の銅像はここ。

東に延びている参道に対して、銅像は少し左向きでした。






一方、上野の地図です。
上野と言っても、どこをターゲットにしようと思いましたが、
ここは同じ銅像繋がりということで、西郷さんの像としてみます。






© OpenStreetMap contributors

銅像同士、矢印を引っ張ってみると・・・
確かに、上野の方角を向いて立っていると言えます!




現在はオフィスビルが乱立しているため、残念ながら上野の山は目視できません。
建立された明治期には見えていたかも知れませんね。