2020年5月22日に映画『燃えよ剣』で主役でもある「新選組」という組織。
もちろん幕末の物語の中では有名ですよね。
意味としては、新しく選ばれた者たち・・・かなと想像はできますが、
自分たちでそう名乗ったわけではなさそうです。
そこで、だれが名付けたのか調べてみました。
「新選組」の名付け親は誰か
名付け親は誰か?となると2つの説が存在しています。
1つは、朝廷から武家伝奏(朝廷と武家の間を取り持つ役職)を通じて
隊名を賜ったという説。
もう1つは、当時、京都守護職だった会津藩主の松平容保から賜ったという説があります。
「新選組」という名前は、会津の警備部隊として元々存在しており、
そこからとってきた名前とされています。
どちらが正しいかは謎ですが、賜った名前というところは間違いありません。
「新選組」が誕生した日
「新選組」という名前が付いたタイミングは、
1863年9月30日、 幕末の京都で八月十八日の政変と呼ばれる事件の後です。
(旧暦では文久3年8月18日に発生)
当時、過激な攘夷論(外国勢力の撃退、通商拒絶)を唱えていた長州藩が、
朝廷から排除されるというクーデターのことです。
この時、近藤勇や土方歳三が所属していた「壬生浪士」が京都御所の警備にあたり、
その働きが評価されて「新選組」という名前を新たに拝命したと言われています。
「新選組」なのか「新撰組」なのか
また、漢字については「新選組」と「新撰組」、どちらも資料として残っています。
新選組トップの局長である近藤勇も、副長の土方歳三も両方の漢字を使っています。
あまり本人たちも気にしていなかったのかも知れませんね。
一般的には「新選組」の方がよく使われるようです。
「新選組」の命名に深く関わったのは、松平容保
新選組の名付け親は2説ありますが、朝廷からであっても、会津藩からであっても
いずれにしても京都守護職の松平容保が働きかけたのでしょう。
なぜかと言うと、そもそも、近藤勇や土方歳三ら「壬生浪士」が京都守護職のもとで働きたいと志願しており、実際に御所警備を行い接点があったからです。
ただし、会津藩に仕官したのではなく、あくまで「会津藩預かり」という非正規な組織であったようです。